美術館における展示空間のコーナー構成が鑑賞後の疲労度に与える影響

1. 研究背景

美術館での鑑賞体験は楽しいものであるが、状況によっては、鑑賞後に満足感よりも疲労感が多く残ってしまうことがある。展示物を鑑賞する間に生じる身体的・精神的疲労のことを、「美術館疲れ」(Museum Fatigue)と呼ぶ1)。 この「美術館疲れ」には、展示物の特性や鑑賞者の個性なども含めて、多様な要因が複雑に絡み合い影響を与えていると考えられている。

建築分野での美術館に関する既往研究では、休憩室のレイアウトや展示コーナーの構成といった鑑賞環境の平面計画の効果に焦点をあてた研究が行われてきた。たとえば徐ら2)は、展示空間における歩行実験によって鑑賞者の経路選択を類型化し、疲労を軽減する展示レイアウトとして、外の風景が見える休憩場所を展示経路の中に計画的に配置することを提案している。また仙田ら3)の研究では、美術館のコーナー構成はおおむね、展示室そのものをつなげて動線をつくる「コーナー接続型」、各展示室を廊下によって結ぶ「廊下接続型」、中心の大室に各展示室が接続する「中央ホール型」の3つに分類することができ、このコーナー構成の違いが、鑑賞者の順路選択や空間認識に影響を与えることが示されている。鑑賞環境の平面計画が、鑑賞者の行動特性に影響を与えるのであれば、鑑賞後の疲労度にもなんらかの影響を与えていることが考えられる。

そこで本研究では、美術館の展示空間におけるコーナー構成という一つの環境因子が、鑑賞パターンと疲労度に与える影響を検討することとした。なお、本研究で取り扱う疲労度とは、人間が持つ回復作用により元の状態に戻ることを想定した一時的な精神的・身体的機能効率の減退の程度のことである。

2. 研究目的

本研究では、没入型仮想環境を用いた被験者実験を行い、美術館における展示空間のコーナー構成の違いが、鑑賞者の鑑賞パターンと鑑賞後の疲労度に与える影響を検証した。実験結果の定量的な分析を通して、美術館での鑑賞行為に対してマイナスなイメージを持つきっかけとなる「美術館疲れ」を引き起こしづらい展示空間の設計に役立つ知見を得ることを本研究の目的とする

3. 実験Ⅰ

3.1. 実験概要

被験者は健康な大学生5名とし、千葉大学工学部10号棟214教室で実験を行った。被験者はHMD(HTC-VIVE Pro Eye/HTC社)を装着し、VRソフトウェア(Vizard6.0)を用いて構築した仮想環境を体験した。実験では異なるコーナー構成の展示空間を3つ作成した。

被験者はそれぞれの実験条件における展示空間で絵画の鑑賞を行った。VAS(Visual Analogue Scale)と唾液アミラーゼ活性の2つの方法で実験前後の値を比較し、疲労度を計測した。VASは、直線の左端を「これまで経験したことのないような疲れを全く感じない最良の状態」、右端を「これまで経験したことのないような何もできないほど疲れきった最悪の状態」とし、被験者に把持させたコントローラーのトラックパッドを用いて線分上のスライダーを自らの状態と対応させることで計測した (図1) 。線分の長さを1と設定し、左端からスライダーの位置までの長さを被験者の自覚疲労として数値化した。唾液アミラーゼ活性は、ストレス計測器(COCORO METER,ニプロ(株))と専用のテストスリップを使用して計測した(図2)

3.3. 実験条件

「コーナー接続型/廊下接続型/中央ホール型」の3条件で実験を実施した。絵画は人物画・風景画・抽象画の3種類をそれぞれ3枚ずつとし、1つのコーナーにつき1枚を壁掛け式で展示した。3つの展示空間は、幅4m、奥行4m、高さ4mの展示コーナーを異なる構成で組み合わせた。それぞれのコーナーは厚さ150mmの壁で仕切り、壁色は白、床は木目調で統一した。また、仙田ら3)の研究において満足度の高い展示室のコーナー数が5~10とされていることから、今回のコーナー数は9に設定した。

図3に、3つの型式のコーナー構成で作成した展示空間の平面図を示す。被験者はひし形の位置に展示された絵画を、矢印に沿って鑑賞を行う。中央ホール型は、被験者に平面図を示して説明した後、被験者自身で順路を選択しながら鑑賞を行った。

3.4. 実験手順

まず、被験者にHMDを装着させ、コントローラーを持たせた。その後、実験条件ごとに1回ずつ計3回の試行を下記①~⑤の手順で繰り返した。

VASと唾液アミラーゼ活性の計測を行う。

被験者にHMDを装着させ、空間に転送する。

絵画1つにつき被験者の感覚で1分の鑑賞を行う。

計9枚の絵画を鑑賞する。

全ての絵画を鑑賞し終えたら、HMDを装着したままVASと唾液アミラーゼ活性の計測を行う。

なお空間内の移動は手元のコントローラーによって行う。ただし体の向きや細かい距離の調整は被験者自身の動きによって行うことができる。また、試行と試行の間には20分間の休憩を設けた。

図 1 仮想環境内でのVAS評価

図 2  COCORO METER

図 3 実験Ⅰ 平面図

図 4 展示空間の様子

3.4. 実験結果・考察

図5に各条件におけるVASと唾液アミラーゼ活性の実験後の値の実験前の値に対する割合を示す。被験者1人の値を外れ値として除外し、4人分のデータを採用した。

 VASと唾液アミラーゼ活性の両方の指標において、中央ホール型、コーナー接続型、廊下接続型の順で、実験後の値の実験前に対する割合が大きくなる傾向が見られた。したがって、中央ホール型が最も疲れやすく、廊下接続型が最も疲れにくいコーナー構成であったと考えられる。

 コーナー接続型が廊下接続型よりも疲労度が高くなった理由として、各絵画間の移動経路の違いが関係していると考えられる。廊下接続型では、次の絵画に移動する際に廊下を経由することから、絵画間の気持ちの切り替えがしやすく、飽きによる疲労が生じにくいと推測できる。

 中央ホール型は絵画間にホールを経由するが、最も疲労度が高い値をとった。理由として、平面構成の違いと、実験の順番が影響していると考えられる。中央ホール型で鑑賞を行う際、他の展示空間と比べて絵画間の移動距離が長く、方向転換も多くなっている。また、各条件の実験を行う間に20分の休憩を設けたが、最後に中央ホール型の条件で実験を行ったためそれまでの実験による疲労が蓄積していたと推測できる。これらの理由から、中央ホール型において疲労度が最も高くなったと考えられる

図 5 実験後のVAS値

図 5 実験後のアミラーゼ活性

4. 実験Ⅱ

4.1. 実験概要

実験Ⅱでは、コーナー構成を「コーナー接続型/中央ホール型」の2条件に絞り、その違いが鑑賞後の疲労度に与える影響を検証した。なお、実験Ⅰで使用した展示空間は、コーナー構成以外にも、絵画の種類(人物画・風景画・抽象画)や、絵画間の移動距離(4m~20m)などが大きく異なっていた。そのため、コーナー構成の違いのみが疲労度に与える影響を厳密に検証することはできていなかった。そこで実験Ⅱでは、これらの条件をできるだけ揃え、展示コーナーが連続的に接続し次に見るべき絵画とそこまでの経路が強制的に決定されるコーナー構成(コーナー接続型)と、展示コーナー間に展示物のないホールがあり次に見るべき絵画と経路を選択することのできるコーナー構成(中央ホール型)とをより純粋に比較できるようにした。

実験は実験Ⅰと同様に千葉大学工学部10号棟214号室で行った。被験者は健康な大学生10名とした。

被験者はHMD(Star VR/Star VR社)を装着しVRソフトウェア(Vizard6.0)を用いて構築した仮想環境を体験した。実験では異なるコーナー構成の展示空間を2つ作成した。

実験Ⅰと同様に被験者は、それぞれの実験条件における展示空間で絵画の鑑賞を行った。その後疲労度の計測は、VAS(Visual Analogue Scale)と唾液アミラーゼ活性の計測に追加して、絵画ごとの鑑賞時間の計測と、脈拍・血中酸素濃度(SpO2)の4つの方法で行った。脈拍・血中酸素濃度(SpO2)は、被験者に小型軽量のパルスオキシメータ(製品名:リングO2)(図8)を左手に装着させ、計測した。脈拍は、実験を行う前に5分間安静状態で待機してもらい、平均値を算出することで、鑑賞後の値と比較した。血中酸素濃度とは動脈血中の酸素飽和度を示すものであり、疲労状態が続くことで数値が下がる特徴を持つ。実験中は継続してデータを取得することで、変化を記録し、疲労状態の程度を数値として可視化した。

また、実験Ⅱでは絵画ごとの鑑賞時間を計測し鑑賞パターンを調べるとともに、減少傾向を比較することで疲労度の指標とした。Gilman4)は、鑑賞時間が展示の序盤から終盤にかけて大きく減少することを明らかにした。鑑賞時間の計測は、アイトラッキングによって得た視点の位置座標と、頭部座標を対応させることで計測を行った。視点が絵画上にある最終地点から、1m以内に頭部座標があり絵画を注視している時間を鑑賞時間として定義した。

4.2. 実験条件

前述のとおり「コーナー接続型/中央ホール型」の2条件で実験を実施した。

絵画はすべて人物画とし、1つのコーナーにつき1枚を壁掛け式で展示した。作家による違いを出さず、全ての被験者が見たことのない絵画とするため、AIによって描かれた絵画を使用した。AI絵画アプリ「Dream」(WOMBO社)を使用し、テキスト「portrait」スタイル「Realistic」で人物画を作成した(図9)。絵画の色を白黒にし、顔の位置と大きさを揃え、絵画の違いによる影響を低減した。

2つの展示空間は、幅4m、奥行4m、高さ4mの展示コーナーを異なる構成で組み合わせた。それぞれのコーナーは厚さ150mmの壁で仕切り、壁色は白、床は木目調で統一した。コーナー数は実験Ⅰから数を増やし、20とした。コーナー接続型(図6)は実験Ⅰと同様に鑑賞を行った。中央ホール型は、コーナーを5個繋げた構成とした。被験者の初期位置は中央ホールとし、指定した絵画を最初に鑑賞を行った。コーナー内に入って鑑賞を行った後ホールに戻ると、鑑賞し終わった絵画が新しい絵画に変わるように設定しており、計20枚の絵画を鑑賞し終えるまでこれを繰り返した(図7)。

中央ホール型の実験を行う際、被験者は1つのコーナーに入って出た後、今まで鑑賞していたコーナー以外の3つのコーナーから次に鑑賞する絵画を選択して進む。この時、2つのコーナーを行き来するような移動をしないことと、絵画を鑑賞して中央ホールに戻る際にコントローラーの操作で後退によって戻るのではなく、体の向きを変えてから戻ることを指示した。

4.3. 実験手順

被験者にHMDとリングO2を装着させ、コントローラーを持たせた。その後、下記①~⑥の手順で実験を行った。

VASと唾液アミラーゼ活性の計測を行う。

被験者にHMDを装着させ、空間に転送する。

1枚の絵画を被験者が満足するまで鑑賞を行う。

計20枚の絵画を鑑賞する。

全ての絵画を鑑賞し終えたら、HMDを装着したままVASと唾液アミラーゼ活性の計測を行う。

HMDを外し、アンケートに回答してもらう。

被験者は手元のコントローラーで前進や後退を行うが、細かい調整は被験者自身の移動により行う。被験者はこの手順を2回繰り返し、2つの展示空間を体験する。ただし実験Ⅱでは、1つの条件にかかる時間が約30分であるため条件ごとに日を改めて実験を行った。

図 6 コーナー接続型平面図

図 7 中央ホール型①

図 7 中央ホール型

図 8 リングO2 

図 9 展示した絵画①

図 9 展示した絵画

4.4. 実験結果・考察

図10、11に、実験Ⅱで計測した各指標における実験後の値の実験前の値に対する割合を示す。唾液アミラーゼ活性については、鑑賞後に4割以上数値が増加しているものを外れ値として除外した。各指標についてコーナー構成を要因としたBonferroni法による多重比較検定を行ったところ、唾液アミラーゼ活性の値において、コーナー接続型と中央ホール型の間に有意差が確認された(図10)。このことから、身体的な疲労度については、コーナー接続型よりも中央ホール型の方が低いといえる。

なお、他の指標の平均値の推移を見ると、有意差は確認されていないが、SpO2・脈拍についてはコーナー接続型において値が大きく、VASについては中央ホール型において値が大きい傾向にある。生理指標ではコーナー接続型において疲労度が大きいが、心理指標では中央ホール型において疲労度が大きいことが示唆される。この理由として、鑑賞者自身の順路決定権の有無が考えられる。中央ホール型の場合、次に鑑賞する絵画を被験者自身が選択する必要がありコーナー接続型と比較して能動的に鑑賞を行っている。これにより得た満足感や充実感を被験者が疲労感と混同したことで、心理指標の値が大きくなったと考えられる。

つづいて、それぞれの展示空間における絵画の注視時間を集計し、条件ごとに平均値を算出した(図12)。コーナー構成を要因としたBonferroni法による多重比較検定を行ったところ、中央ホール型の値のほうが、コーナー接続型の値よりも有意に大きいことが分かった。このことから、中央ホール型のコーナー構成の方が、絵画に対する注視時間が長くなることが示された。

この理由として、中央ホール型ではホールに戻ることで集中力がリセットされることと、次の絵画が視界に入らないため鑑賞に集中しやすいことが考えられる

図 10 各指標の実験後の値(/実験前)

12 絵画に対する平均注視時間

11 アミラーゼの実験後の値の実験前に対する割合

5. まとめ

本研究では仮想環境技術を用いた被験者実験を行い、美術館の展示空間におけるコーナー構成の違いが鑑賞後の疲労度に与える影響について検証した。得られた結果を以下にまとめる。

参考文献

  1. Gareth Davey: What is museum fatigue? , Visitor Studies Today 8 (3), pp.17-25, 2005
  2. 徐 華,西出 和彦:経路選択の類型:展示空間における経路選択並びに空間認知に関する研究,日本建築学会計画系論文報告集,568号,pp.53-60,2003
  3. 仙田 満,篠 直人,矢田 努,鈴木 裕美:美術館展示室の建築計画的研究,日本建築学会計画系論文集,64巻,pp.145-149,1999
  4. Gilman, B.I: Museum fatigue, The Scientific Monthly,12, pp67-74,1916